口を大きく開けると顎が痛む。あくびや食事で顎がカクッと音を立てる。朝起きると顎がこわばっている。気がつくと無意識に歯を食いしばっている──こうしたお悩みを抱える方が、近年とても増えています。
顎関節症は日本人の7〜8割が一生のうちに何らかの症状を経験するとされる、決して珍しくない疾患です。特に20〜40代の女性に多く、男性の2〜4倍とも言われていますが、近年はストレスやデスクワーク姿勢の影響で男性にも広く見られるようになっています。今回は顎関節症の正体と、鍼灸でのアプローチ、よく用いられる経穴(ツボ)について記しました。
顎関節症の三大症状
顎関節症は、顎関節やそれを動かす咀嚼筋に異常が生じて起こる疾患です。耳の少し前にある顎関節は、頭蓋骨と下顎骨を連結する関節で、咀嚼や発声のために複雑な動きをしています。この関節と周囲の筋肉の働きが乱れると、次の3つの症状が現れます。
顎の痛み──口を開け閉めしたとき、食事のとき、あくびをしたときなどに顎関節やこめかみ、頬の周りに痛みが出ます。安静にしていてもズキズキ痛むこともあります。
開口障害──口が大きく開けられなくなる症状です。正常な開口量は人差し指から薬指の3本を縦に揃えて口に入る程度ですが、指1本程度しか入らないなど、可動域が狭くなります。
顎関節雑音──口を開け閉めするときに「カクッ」「コリコリ」「ジャリジャリ」といった音が鳴ります。クリック音と呼ばれることもあります。
これら3つのうち1つでも当てはまり、他の疾患がない場合に顎関節症と診断されます。すべての症状が同時に出る方もいれば、1つだけの方もいます。
顎以外にも広がる症状
顎関節症で悩まれる方の多くは、顎の症状だけでなく全身の不調も抱えていることが少なくありません。
頭痛・めまい・耳鳴り、肩こり・首こり、眼精疲労、不眠、疲労感、自律神経失調のような症状──これらは顎関節症と一見関係ないように思えますが、咀嚼筋の慢性的な緊張や顎の歪みが、首や肩、頭部の筋肉や神経にまで影響することで生じます。「肩こりや頭痛がひどくて病院に行ったら、実は顎関節症が原因だった」というケースは少なくありません。
逆に、顎の症状を放置すると、こうした全身の不調にまで広がっていく可能性があります。早めに対処することが大切です。
なぜ顎関節症になるのか
顎関節症の最大の原因は、食いしばりと歯ぎしりです。
人間が無意識に上下の歯を接触させているのは、本来1日のうち合計17分程度と言われています。それ以上の時間、歯を接触させたり食いしばったりしている状態が続くと、咀嚼筋(咬筋・側頭筋など)が慢性的に緊張し、顎関節に過度な負担がかかります。
食いしばり・歯ぎしりが起こる背景には、いくつかの要素が絡み合います。
ストレスや緊張──仕事のプレッシャー、人間関係の緊張、不安や悩みごとが続くと、無意識のうちに歯を食いしばる時間が長くなります。日中だけでなく、寝ているときの歯ぎしりとして現れることも多くあります。
姿勢の悪さ──猫背、ストレートネック、デスクワーク中の前傾姿勢などは、首や肩の筋肉を緊張させ、その緊張が顎関節にまで及びます。スマホやパソコンで下を向き続ける姿勢は、特に顎への負担が大きくなります。
生活習慣の癖──頬杖をつく、片側ばかりで噛む、うつ伏せ寝、電話を顎で挟む、長時間ガムを噛むといった日常の癖も、顎関節への負担を積み重ねます。
噛み合わせの問題──歯並びや噛み合わせの不整も顎関節症の要因になります。これは歯科での対応が必要な部分です。
東洋医学から見た顎関節症
経絡治療では、顎関節症を顎周りを通る経絡の気血の滞りとして捉えます。
顎関節周辺には、いくつもの経絡が走っています。代表的なものは胃経と大腸経で、どちらも顔面部を通り、消化器系と深いつながりを持っています。また胆経や三焦経もこめかみや耳の周辺を通り、顎関節と関係しています。
これらの経絡で気血の流れが滞ると、その経絡上に痛みやこわばりが現れます。顎関節症は、複数の経絡が交わる顎周りで気血の停滞が起きている状態と言えます。
気血の流れを大きく乱す要因のひとつがストレスです。緊張や不安、怒りといった感情が続くと、身体は無意識に力が入り、気の巡りが滞ります。気の滞りはやがて血の巡りも悪くし、滞ったところに痛みやこわばりが現れます。「ストレスがかかると顎が痛くなる」「気を張った日ほど食いしばっている」という感覚は、まさにこの気血の滞りが顎周りに集中して起きている状態です。
加えて、胃経が顎を通ることから、胃腸の状態と顎関節症にも関わりがあるとされます。ストレスで胃が痛みやすい方、便通が乱れやすい方は、顎経絡への影響が出やすく、顎関節にも症状が現れやすい傾向があります。
顎関節症に用いられる代表的な経穴(ツボ)
顎関節症のお悩みに対して、経絡治療では顎周りを中心に、症状に応じた経穴を選択していきます。
下関(げかん)は、耳穴のすぐ前のくぼみ、頬骨の下にあります。口を開けると盛り上がる場所で、顎関節症の代表的な経穴です。胃経に属し、咬筋や外側翼突筋といった顎を動かす筋肉に直接働きかけます。
頬車(きょうしゃ)は、下あごの角から指1本分ほど内側上にあります。歯を食いしばると盛り上がる咬筋の中央にあたる場所で、食いしばりからくる顎の痛みやこわばりに用いられます。
客主人(きゃくしゅじん)は、下関の上、頬骨弓の上際にあります。「上関(じょうかん)」とも呼ばれ、胆経に属します。側頭部の筋肉(側頭筋)にも作用し、顎関節症からくる頭痛や肩こりにも効果が期待できる経穴です。
翳風(えいふう)は、耳たぶの後ろのくぼみにあります。三焦経に属し、顎の痛みだけでなく、めまい・耳鳴り・頭痛など耳周辺や頭部の症状にも用いられます。
太陽(たいよう)は、こめかみのくぼみにあります。眉尻と目尻の中間からやや後ろの位置で、側頭筋の緊張をゆるめ、顎関節症に伴う頭痛にも対応する経穴です。
これら顔・側頭部の経穴を中心としながら、症状や身体の状態に応じて、手や足の経穴も組み合わせていきます。同じ顎関節症でも、ストレスからくるものか、姿勢からくるものか、慢性化して気血が不足しているのかで、選ぶ経穴と治療の方向性は変わります。
鍼灸が顎関節症に働きかける仕組み
鍼灸が顎関節症に作用する経路はいくつかあります。
咀嚼筋の緊張緩和──鍼を用いて、咬筋・側頭筋・外側翼突筋などの深部の筋肉に直接アプローチできます。手では届かない深さにある筋肉のこりやトリガーポイントをピンポイントでゆるめられるのは、鍼ならではの強みです。これらの筋肉がゆるむと、顎関節への負担が軽減し、痛みや開口障害の改善につながります。
血流の改善──鍼刺激によって顎関節周囲の血流が増加し、炎症物質や老廃物の排出が促されます。関節包や関節円板への栄養供給が改善され、回復力が高まります。
自律神経の調整──ストレス由来の食いしばり・歯ぎしりの背景には、交感神経の高ぶりがあります。鍼灸で副交感神経を優位にすることで、無意識の緊張がゆるみ、根本からの食いしばり軽減につながります。睡眠の質も改善するため、夜間の歯ぎしりにも作用します。
気血を巡らせる──東洋医学的には、滞った気血の流れを取り戻すことで、顎周りに集中していた緊張を解いていきます。ストレスによる気の滞りを整えることが、対症療法ではない根本的な改善につながります。
全身のバランス調整──首・肩・背中の緊張、姿勢の歪みなど、顎関節症の背景にある全身の状態を整えていきます。顎だけを治療しても再発しやすいのは、こうした全身のつながりが影響しているためです。
顎関節症と鍼灸でできること
はりきゅうはれ梅島院では、脉診流経絡治療に基づいて、顎関節症の症状の現れ方と身体全体の状態を見極めたうえで治療を組み立てています。顎の局所だけでなく、ストレス・姿勢・睡眠の質・気血のバランスといった背景までを含めて整えることで、症状の改善と再発予防の両方を目指します。
歯科でマウスピースを使っているが改善しない、口が開きづらくて食事や会話に支障がある、慢性的な食いしばりや歯ぎしりに悩んでいる、顎の痛みから頭痛や肩こりまで広がっている──そうしたお悩みをお持ちの方に、顎関節症と鍼灸について記しました。